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 著書『セルフより愛を込めて』裏話特集

管理人の著書『セルフより愛を込めて』の裏話特集を、ご紹介しています。

著書 『 セルフより愛を込めて― 「自分」を理解したいあなたへ ― 』は、私が筆談による対話を可能としている、「内なる声」と呼ぶスピリチュアルな存在が語った内容を丁寧に編集して、一冊にまとめたものです。

書籍を作成するにあたって、「内なる声」と呼ぶ存在と、さまざまな対話を交わしました。
ここでご紹介するのは、「内なる声」と私の、ある日のこんなお話です。


著書『セルフより愛を込めて』裏話特集メニュー

光と闇の両方ある世界
「願望」はどこへいった?
「譲れない心」のようなもの
「思考」による自家発電の誤り
「あなたが動く」ということ
正しく物事を考える
「つらい」と同時にできること


光と闇の両方ある世界


このお話を書籍に掲載できなかった理由は、話を詰めることによって、理解を深めることが難しかったからです。
でも、なぜか印象に残っているお話だったので、あなたにもご紹介してみたいと思います。



内なる声:この世界に光と闇があるとして、あなたはどこにいると思う?

ワタシ:光と闇ですか。
うーんわからない。光と闇の間を、ウロウロしてるでしょうか。

内なる声:光というのは、どこからさすの?

ワタシ:光というのは、太陽とか、希望とか、そういうイメージですね。
神々しい感じがしますが、どこからさすのかは・・・難しいです。

内なる声:そう。私は、どちらにいると思う?

ワタシ:あなたは、私たちが闇にいるときには、光となって現れるイメージがあります。
違うのでしょうか?

内なる声:光には闇が必要。
しかし、闇には光は必要ない。わかる?


ワタシ:どういうことでしょう?

内なる声:例え話をしてみよう。


あるところに一人の少年がいて、その少年が「光の世界」を創ろうとしていた。

その少年は、「どうすれば光のあふれる世界を創ることができるのか?」と考えた。
そこで思いついたのは、「光の世界を創るためには、闇の世界の中に、たくさんの光を灯す必要があるのだ」ということ。

その少年は、まず、「闇の世界」を創ろうとした。
なぜなら、その世界には光と闇の両方が存在していて、その世界から光を排除することは、簡単にできたからである。


少年は、いつしか闇の中に暮らすようになる。
そして、「光を創ろうとして、闇を創った」ということを忘れ、闇の中にて思考を巡らすようになる。

光とは、闇がなければ成立しない。
しかし、闇の中に光がなくとも、闇とはそれのみにおいて成立してしまう。

暗闇の中に慣れてしまえば、「その闇に光が灯らないことが異常なことだ」という認識が得られず、人はやがて光を求めることを忘れ、闇の中を徘徊し、うまく進むことができぬということに嘆き始める。
光の存在が確かにあったという記憶は薄れ、闇の中において判断できることがすべてであると、勘違いしてしまうのだ。


さて、そのとき、「闇の世界」を創ってしまったその少年を、光に包むことは可能だろうか?

果たして、その光を与えるのは誰であろう?
あなたはその光を、神や仏が与えるものだと思うだろうか。

光というものは、「闇の世界」を創ろうとしなければ、そこにあるものではなかっただろうか?



ワタシ:人は、わざわざそこに「闇の世界」を創り出すという、不要なことをしているのでしょうか。

内なる声:あなたは、そうしていないと思う?
考えてみて欲しい。


ワタシ:「光を排除することは簡単だけど、闇を排除することはできない」というようにも聞こえます。

内なる声:光と闇の両方ある世界にいて、どちらかに傾こうとすれば、あなたはこういった矛盾した世界を見ることになる。

あなたがどちらかに傾こうとせず、その世界の光と闇を眺め、「光の方向を好む」ということを認識すればよいことであり、あなたの手によって「光の世界」を創り出そうとすることは、必要ない。

しかし、人はしばしばこういったことを繰り返す。
そして叫ぶのだ「私を救いたまえ」と。

あなたが神ならば、「あなたが世界を創ろうとするのは、やめなさい」と言いたくはならないか?



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「願望」はどこへいった?


書籍の第7章には、下記のように「願望」と「希望」の違いについての説明があります。


もしもあなたが、「○○さえ手に入れることができたなら、幸せを手に入れることができる」といった、論理的説明のつくことを望んでいると思うときには、注意して欲しい。

例えば、
「ここに、○○が現れて欲しい」とか、
「ここから、○○が消えてなくなって欲しい」とか、
「○○が、△△に変わって欲しい」といった願いを、あなたが叶えたいからといって、それをハイヤーセルフの「希望」と混同していてはいけない。

それは、あなたの源泉からあふれ出た「希望」ではなく、あなたの「思考」が生産した「願望」なのである。

― 中略 ―

あなたの「願望」とは、あなたが歩んでいくに従って変化するものであるし、それほどの執着をもつ必要はないということが、わかってくるもの。
だが、ハイヤーセルフの「希望」とは、「思考」が生産した「願望」の比にはならぬものである。


この説明にまつわる対話につきましては、最も多くの時間を費やしたのではないかと思います。
書籍には書きまとめるに至らなかったお話も多くありましたので、ここで、あなたにもご紹介してみたいと思います。



ワタシ:『願望を叶える方法』といった題材の書籍が好まれる昨今に、「願望」には執着をもつ必要はないと、さらっと言われてしまったので、どうしようと思っています。
「願望」は、あきらめなければならないのでしょうか?

内なる声:「願望」とは、あなたがつくっているものに過ぎない。
「願望」って、どうしてつくるのかわかる?


ワタシ:どうしてつくるのかって、どういう意味ですか?

内なる声:「願望」は、どうやって生まれるの?


ワタシ:・・・自分と他を、比較することで生まれるのでしょうか?

内なる声:あなたの「願望」を叶えるのは簡単そう?

ワタシ:いいえ、難しそうだと思います。

内なる声:難しいと思うから、「願望が叶うかどうかわからない」と言って、嘆いたりするの?

ワタシ:そうだと思います。

内なる声:「願望」を叶えるのは、あなたの望みかもしれない。
しかし、その願いが叶うことが幸せかどうか、あなたにはわからない。

「願望」とは、一時的にあなたの満足を得て終えるものであり、広がりを見せるものにはならない。
「どうしてその願望を叶えたいのか?」という質問に対し、あなたが「もしも○○が手に入ったら、いまのこういった問題が解決される」といったことを考えているのだとしたら、それは状況の変化によって、崩れ去るものに過ぎない。

その「思考」による夢が叶ったら、あなたは、満足するように考えている。
しかし、あなたの満足とは、その地点を迎えることによって得るものではない。


だが、その願いをどうしても叶えたいと思うのであれば、その願いを叶えるところをゴールとして考えるのではなく、あなたが現在の場所から離れるための動機として考えみて欲しい。
あなたのハイヤーセルフに導かれんとするところが理解しにくいとき、あなたは、あなたの「願望」を叶えんとする気持ちをもって、現在の場所を離れようとしてみてはどうだろう?

あなたの考え出している「結果」を最大として考えてはいないセルフが、あなたをもっと楽しいところに連れて行こうとしているのかもしれぬと考える力をもって欲しい。
あなたが驚くばかりの経験や、思いもよらぬ理解や、考えもしなかった展開を望んでいるならば、自らの想像などあてにならぬとし、その大いなる存在と共に歩くということをよろこびにしてみて欲しい。

あなたにとって大切なことは、頭の中にイメージしている「願望」が叶うことや、あなたが何かを手に入れる地点まで行くことではなく、あらゆる可能性の中に共通する、あなたの求めている感情を知ることである。


自分の中にそういった「希望」が存在することの導きを感じて進んでいくうちに、その「願望」の叶う通過点をよろこぶ現実もあるということであって、その達成がすべてのように考えることは、おすすめしていない。

あなたが「願望」することが悪いことであるというのではなく、「当面の目標として掲げる」という自覚が必要ということ。

ハイヤーセルフは、あなたがその「願望」をもっていることを理解しているし、あなたがそれを切望してやまぬ気持ちをもっている理由もまた、理解しているのである。


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「譲れない心」のようなもの


このお話は、書籍に掲載したくて最後まで悩みましたが、結局入れ込むことのできなかった部分です。
ぜひここで、あなたにもご紹介してみたいと思います。



内なる声: さて、いいかな。これから、面白い話をしよう。
あなたにとって、「絶対的確信」といった理論とは、何を表しているのだろう。
ある物事に対して、絶対的な確信ということを感じる理由とは何か?


ワタシ: 「絶対的確信」・・・?
絶対にそうだと、感じるようなことですか?

内なる声: 確信というのは、あなたが勝手にそう信じていること。
あなたの夢や希望や悩みのことについて、いまの考え方が絶対と言えることではないにもかかわらず、「絶対そうである」という前提のもとに考えていることがあるのではないかと、見直してみて欲しい。

絶対的な確信とは、自分が考えていることが、この世の真実のすべてであるかのように、あなたの「思考」をもって何かを進めているときに生まれる。
「絶対的確信」とは、あなたの頭の中につくられる理論であり、それはハイヤーセルフに与えられているものではない。


ワタシ: ハイヤーセルフは、関係ないのですか・・・?
確信というのは、妄信のようなことを言っているのですか?
その違いがよくわかりませんが・・・

内なる声: 「妄信」とは、自分が理解してないことを、まるでわかっているかのように話したり信じたりすること。
「確信」とは、自分が進んでいく道が、まるで見えているかのように話したり信じたりすること。

あなたがまるで「わかっている者」であるかのような方法も考え方も、あなたには理解できることではない。
あなたは、「いまあなたが、理解できること」しか信じられることはない。
だから、妄信しても確信しても、あなたの考えとは安心に向かわない。


ワタシ: 私たちが「確信している」と思っているようなことは、勝手にそう判断しているだけで、実は間違っているということでしょうか。

内なる声: あなたの経験ではどうだった?

「絶対的確信」は、絶対的なものだっただろうか?
「絶対的確信」とは、揺らぐものではなかったか?

あなたはいま、叶えたい夢を叶えるために、「絶対的な確信をもって進みたい」と、願っているだろうか?
絶対的な道をつくり、絶対的にあなたが満足することを願って、絶対的なよろこびを感じて進みたいのだろうか。


ところで、「絶対的なもの」とは、「あやふやなもの」よりも、大きなものだろうか?

あなたは、その「一見大きく見える、限定されたよろこび」の可能性を、どこから導き出したのだろう?

あなたが絶対的に、爆発的に感じるよろこびとは、あなたの「思考」が導き出した理論によるものである。
ハイヤーセルフは、あなたに「絶対的確信」を渡さない。

「広く・大きい」ということを知る者は、「絶対的な・限定した小さなもの」を、与えない。

あなたは自由であり、そして、セルフが見せるのは常に「絶対的確信」ではなく、確信のないあなたの可能性である。
その真実のよろこびとは、絶対的な確信を伴うものではなく、そこに広がり続ける源泉の尽きない様子が垣間見れるものであり、自分の限界を見ないものとなる。

ハイヤーセルフの見せる可能性は、尽きない。
しかし、あなたの「思考」が導き出す可能性は、尽きる。

あなたがいま、何らかの確信をもって動いているのであれば、その考えとは、つまり「限界を感じる」というところに至る。
広がりを感じないその可能性は、その狭い考えのもと、導き出された結果である。
あなたの尽きない源泉から、あふれるものではない。

あなたという者は、そうして自分の限界をつくり、その考えを狭くして自ら苦しむことをするということ。


現在の考えが、正しいところにあるかどうかを知りたければ、あなたがいまその意見に「絶対的確信」をもっているのかどうかというところを見ればよい。

あなたが「絶対的確信」をもって、何かを動かし、何かを進め、何かを思いのままに理解することができると信じていることがあるだろうか?
信じているのは、「大きな力があなたをいつも支えてくれている」ということではなく、「私のこの考え方が正しいに決まっている」といったことを前提にしたものではないかどうか。

あなたはそれをよく考え、よく理解しようとし、よく見直そうとし、そして最終的に「わからない」という結論を出すことになる。



ワタシ: なるほど・・・
だけど、「確信」でも「妄信」でもないけれど、私たちには「きっとそうに違いない」という、なんというか、「譲れない心」のようなものがあるじゃないですか。

「これはきっと間違ってはいない」と信じていたいようなことが、あるような気がするのですが・・・これは、何と言うのでしょう?

内なる声: 確信のない、自信だろう?
それが、あなたの信じてよい力だという気持ちが沸くので、あなたがよろこびに向かうとすれば、そこだと思うのだろう?

だから、あなたがそれを自分自身でわかることを、ハイヤーセルフという「指針」と呼ぶのだよ。

あなたは、絶対的な確信をもって進む者ではなく、わからない中において、確信のない自信のように感じるあなたの指針をもって進んでいくのである。



※「指針」についてのご説明は、著書『セルフより愛を込めて』の 第3章 「自分」の中の指針のところで詳細を掲載しておりますので、ぜひ本書をご参照ください。


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「思考」による自家発電の誤り


このお話は、上記の「絶対的確信」についてのお話とセットで書籍に掲載したくて悩んだのですが、結局まとめることのできなかった部分です。
ぜひここで、あなたにもご紹介してみたいと思います。



内なる声: それでは、今日も話を始めるよ。
「自分」という者は、いつも、わからないことを考えているものである。
そう思わない?


ワタシ: そうですね・・・。そうかもしれません。

内なる声: あなたは、自分で理解できないことを、一生懸命考える。
それは、あなたの想像力を使っているということになる。

あなたの想像というものは、現在のあなたの頭にある情報のつぎはぎを合わせながら、あなたが全体像をつくり上げ、自分の判断をつけようとする行為となる。


ワタシ: そのように説明されると、自分の考えをあまり信用してはならないように思えてきますね。
普段は、そう思っていないですが・・・

内なる声: そうだよ。あなたの考えとは、「この対象は、こういうものであるに違いない」とする想像のもとに成り立ち、ハイヤーセルフという指針を見ないままに、「この問題の解決法とは、こうであるはず」という答えを、理論的に導き出すことを可能にしている。

つまり、供給源となるハイヤーセルフからの大切な光を受けとらないままに、想像力を駆使して「自分の望んでいることとは、こういったものに違いない」という判断をつけ、「思考」による自家発電を始めることを可能としているのだということ。

「思考」が自家発電を始めると、本来供給されるはずの力強いエネルギーを受けとることができず、間違ったエネルギーの消費を始める。

それは、偉大な太陽の光を無視して、自転車をこいで電球を点けようとするような試みに等しく、「思考」の中において導き出そうとする「答え」とは、その役割を理解できていない者が、つたないものをつくり出すかのような、残念な傾向に終わる。

あなたの肉体も「思考」も、あなたがどのように動かすかという、選択の自由をもっている。
そのため、その使い方を、誤った方向にもっていくという事実はいくらでも存在する。

あなたは、太陽のように輝く尽きないエネルギーを供給される方法をもっているにもかかわらず、部屋の中に閉じこもり、自分の「思考」という、本来その役割をするものではないものを使って、光をつくろうとする作業をおこなってはならないということ。



ワタシ: その説明は、とてもわかりやすいです。
確かに、「思考」によって間違ったエネルギーを消費していると感じることがあります。

内なる声: あなたのハイヤーセルフは、どんなときにも、そこに尽きないよろこびの源泉をもって、あなたに渡そうと構えている。
あなたがその供給を止め、自家発電を試みるとき、必ずエネルギー不足という理由で、止まるという結果になる。

エネルギーの供給源は、あなたの「思考」ではない。

「自分」という者の源泉を眺め、そのエネルギーの供給を得るということをしなければ、あなたという単独の存在とは、「わからない」という当然の事実に苦しむばかりとなる。

あなたの「思考」とは、光を導き出すために使うものではなく、あなたが自分の理想とするものを理解し、あるいは「まだ理解できていない」という事実に基づいて、どう動くのかということを工夫するために使うものである。



※「思考」の使い方の誤りにつきましては、著書『セルフより愛を込めて』の 第5章から詳細を掲載しておりますので、ぜひ本書をご参照ください。


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「あなたが動く」ということ


このお話は、また別の機会を設けてじっくりと理解していきたい・・・と感じる内容ということもあって、書籍への掲載を省略した部分です。
ぜひここで、あなたにもご紹介してみたいと思います。



ワタシ :私たちには、「対象を変化させたい」という欲求があると思うのですが、それをどのようにとらえるべきでしょうか?

例えば人間関係において、「誰かに、言うことを聞いてもらいたい」とか、「こうして欲しい」と思っていても、叶わないところがあると思うのですが・・・


内なる声 :その「対象」に心を奪われていることとは、本来「自分」の希望するところではない。
しかし、「その対象を何とかしたい」という欲求とは、どのように扱うべきかということ?

その者の変化を望む欲求というものは、かき消すべきであろうか?
あなたが「教育したい者」についての変化は、望めないものだろうか?

あなたが「変化させたい理由」とは、いったい何であろう。
その者を見て、「良くない」と感じ、「自分が良いと感じることが、その者にとっても良いはず」と思うのに、変化をさせるということがうまくいかない理由とは何か?

答えは、あなたが、「自分」の動きを制御していないからである。
あなたの身体と思考をもって、あなたが動かそうとしているのが、「あなた」ではないため。

「自分」という担当の者をさておき、他人の担当の肉体や思考を動かそうとする行為とは、必ず「不可能なこと」をしようとする行為となる。
そして、いかにも迷惑な行為となる。



ワタシ :はい・・・そのとおりなのですが、それでも人間関係においては、他人にどうしても理解して欲しいと思うようなことがあると思います。
そういった場合には、「自分」は、どうするべきなのでしょうか。

内なる声 :あなたが、他人を動かすということを試みるときには必ず、あなたが、まず動くということ。
「あなたが動く」ということによってしか他人が動かないことを知り、「あなたは、どう動くのか」を考えようとすること。

あなたにとっての欲求とは、「自分以外の者を、自分の意思に従って動かすという、不可能な行為を実現させる」というもの。
そうすることによって、満足するのは誰であろう?

「自分」は、満足しない。
なぜなら、そこにエネルギーを費やすばかりになり、「自分にとって、うまくいかない」と感じることの連鎖が起こるため。
そして、他人はますます、その迷惑な行為を排除したいとして苦しむ。

「自分」とは、他人を動かすことを希望しているのではなく、その理想とするところに向かうべく、「自分」を動かすことを希望している。
なのに、「自分」を動かすことなく、「自分」の言うことに従うよう言葉を発し、その言葉どおりにならないことを嘆き、「従わなければ、このような目に合わせる」とするようなことを、他人に見せようとする。

だが、その「対象」の者は、自身の指針をもってあなたを眺め、その指針に従って「自分」がどう動くかを判断しようとするのである。


ある「対象」を気に入らないとする感じ方を変化させたいのなら、あなたは「自分」の感じ方を理想に向かわせるため、「自分」を動かす必要をもっている。
つまり、「自分」の動きが、理想とかけ離れているところに向かっているため、あなたは不快になるのだと知ること。

あなたの動き方が変化するに従って、その「対象」の者は「自分」の指針をもって、あなたを眺めるときに受ける感情を変化させる。
その自主的な変化を待ちながら、あなたは、あなたの指針に従って動くこと。


「自分」の指針に従い、「自分」を動かすことは、いつも可能。
その「対象」にこだわり、その「対象」を動かすことに奮闘するのも、いつも可能。

どちらを選ぶのかは、あなたの自由になる。



※「あなたが動く」ということにつきましては、著書『セルフより愛を込めて』の 第7章「あなたの役割」のところで詳細を掲載しておりますので、ぜひ本書をご参照ください。



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正しく物事を考える


このお話は、どこかに説明を入れたかったのですが、結局、書籍にとりまとめることができなかった部分です。
ぜひここで、あなたにもご紹介してみたいと思います。



内なる声 :あなたの頭の中を「思考」でいっぱいにしても、その考えを突き詰めることで、答えが出ることはない。

例えば、「このようなことが、なぜ起こるのか?」というようなことや、「自分がなぜ、この問題に奮闘しなければならないのか?」というようなことについては、あなたの頭の中に回答をもつものではない。
そうは思わない?


ワタシ :そうですね・・・
だけど、なぜか答えが出るような気がして、そういったことを一生懸命考えてしまうことは多いと思います。

内なる声 :そういうことを考えているときには、あなたはまるで自分が知っていることがすべてであるかのように錯覚し、その考えの中に回答を見つけ出そうとして奮闘してしまう。

「自分が予想していること」が、すべて。
その考えとは、「当たらずとも遠からず」といった程度の確率をもって、そこにあると考えている。

そして、そういう「思考の中における予想」をすることによって、自分の身を守ろうとしているのである。


ワタシ :そうですね。
私たちは、いろいろな情報を元に「考えごと」をして、回答を見つけようとしているのですね。

内なる声 :あなたにとって、その数々の予想は、「自分がそうあって欲しいこと」または「そうなっては困るといった一例のこと」に過ぎないにもかかわらず、それ以外のことは考えられないため、そうに違いないという結論に至る。

しかし、あなたが予想したこととは、単なる現在進行中の物事の「可能性の一つ」に過ぎず、そういった過去の予想とは、ことごとく外れていたということに、気づいていない。

あなたの予想に反した出来事は、次々と出てくる。
あなたの予想がピタリと的中し、あなたの人生のすべてがあなたの予想に基づいて進んでいたことなどなかったというのに、まるであなたがその人生を把握しているかのように、物事をとらえようとしているのである。

あなたが過去に予想したことは、現在、その的中率を誇る結果になっていると思うのだろうか?
あなたは、「自分のすべて」を理解して、物事を操ることができていたのだろうか?

その数々の「予想をしていること」によって、安心することができるとでも言うのだろうか。
その考えの狭さをもって、無駄なことを考えているのではないか?



ワタシ :なるほど。
そう言われてみれば、確かにそうですよね・・・

内なる声 :そもそも、あなたが勝手におこなった予想とは、無意味なものに過ぎない。
あなたの頭の中には「答え」があるのではなく、「妄想」しかないのだということを理解しなければならない。

あなたにとって、数々の「わからないこと」を理解しようと考えるよりも、大切なことがある。

それは、「正しく物事を考える」ということ。

あなたにとっての「わかること」が、どこにあるかといえば、「あなたの頭の中以外のところにある」ということを、知らねばならない。
あなたの頭の中の情報をすべてと思わず、新たな情報を求めておこなうことが、「解決を探る」ことになるのだと知るべき。


あなたにとっての「わからないこと」が、突如「考えごと」の最中に、わかるようにはならない。

それを、忘れないで欲しいと思う。



※「解決を探る」ということにつきましては、著書『セルフより愛を込めて』の 第7章「ハイヤーセルフとの連携」のところで触れておりますので、ぜひ本書をご参照ください。



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「つらい」と同時にできること


このお話は、とっても難しいテーマということもあって、書籍にとりまとめることができなかった部分です。
ぜひここで、あなたにもご紹介してみたいと思います。


ワタシ :「前に進んでいく」ということが大切だということはわかるのですが、現在に「つらい」と思うことが起こっているがために、前に進めないのだと思う場合にはどうすればいいのでしょうか。
例えば、身体の調子が悪いのだとか、その問題自体がすごくつらいのだという理由で、前に進めないということもあると思うのですが・・・


内なる声 :あなたが「つらい」と思うのがいまに始まったことではないのなら、そんなことは前に進めない理由にはならないし、いまに始まったことならば、それを軽減するための方法を探るために、前に進まねばならない。

それから、特にその問題がないのだとすれば、自分がどうしたいのかというところがわかるのかどうか、ということを理解しようとするべき。
あなたがどうしたいのかというところを理解できていない理由として、その問題をとりあげているだけということもあり得る。

「自分」の身体についてのこと・「自分」の悲しい出来事・「自分」にとってそうしたいと思うことのできなかった過去。
どのようにがんばってもできないこともあるし、どのように理解しようとしても「つらい」ということもある。

「自分」というものが、あなたにとって不可解になっていくのは、すべて、あなたの思いのとおりにならない現象が理由であると言える。

あなたが何を求めて生きようというのかと、ハイヤーセルフに聞きたいこともあるだろう。


ところが、ハイヤーセルフとは、そんな計算外の人生をあなたに渡しているという自覚など、もっていない。

ハイヤーセルフは、いまの「自分」の苦しみや悲しみというものが、最も「前に進める要因」になるものとして、存在していることがわかっているため。
そのように、すべての素晴らしい理解に繋がる道へと案内されているということに、疑念をもっているのが、あなたということである。

どうして、こんなふうに「つらい」と感じることを、感じなければいけないのかと思うのならば、「自分」の気持ちに正直になるのを選ぶこと。
正直になるとは、「この問題を抱えていることが、つらいと知っているのだ」ということを、あなたが認めるということ。

「知っている」ということと、「なすすべがない」ということと、「生きる望みを失う」ということを混同しているから、「何もできない」というふうに考えることになる。



ワタシ :難しいですが・・・、言われていることはわかります。

内なる声 :どんなに悪く見えている世界の出来事にも、「自分」への理解という、得るものがそこにある。

起こらないほうがよかったと思うことも、あなたの理解が進んでいくための出来事であるという事実をそこに見なければ、ただわけのわからないこととして、いまのあなたの目に映る。
だが、どうして「つらい」ということと、「それであるゆえに動かない」という結論がイコールになるのか。

「つらい」ということと、そのために必要を感じ、歩き始めることとは、同時にできることではないか。
どうして、「つらい」ということがすべてを邪魔しているということになるのか?


つらいのは、つらい。
しかし、「つらくなくなることが起こるまで、動けない」のだとすれば、動ける者など、どこにもいないということになる。

つらいのであれば、つらくなくなる魔法のような出来事が起こるのを期待して、その場にほうけていてはいけない。


「つらい」と同時にできることが、あなたには、必ずある。

あなたは、それこそをおこなうために起こっている出来事であるという可能性をとらえようとするべき。
そのように、あなたの考えをプラスの方向にもっていくためには、やはり前を向いて、進んでいこうとしなければならない。

それ以外の方法をもって、あなたがその「つらい」という場所から離れることは、できないのである。



※「前に進んでいく」ということにつきましては、著書『セルフより愛を込めて』の 第8章から詳細を掲載しておりますので、ぜひ本書をご参照ください。


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いかがでしたか?
裏話特集の内容を参考に、ぜひあなたの考えを進めようとしてみてください。

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「内なる声」というのは、どういった存在なのですか?
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下記の「内なる声」によるコラムや書籍なども、ご参照ください。


「内なる声」によるコラム
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